【馬鹿でも暗記・マレー語ぶちこみ小説】吾輩は猫である編Part1

malay-neko1-title マレー語学習

私は、英語とマレー語を同時進行で学習しているのですが、
暗記がとにかく膨大すぎて、やってらんねーです。

元々、英語ですら全くのゼロスタートですので、覚える量は凄まじく、
「オシッコで北極を溶かす」ほどの無謀さがあります。

どうしても努力をしたくない私ですが、
現実逃避に現実逃避を重ねて、ついにあみ出した学習法がコレです。

「外国語を覚える」のではなく、「日本の流行語を覚える」のであれば、
苦も無く、スーッと脳みそに収まる筈です。

「イケオジ」であったり「ガブリンチョ」であったり、絶えず生まれる日本の流行語ですが、
日本語の文章に混ざり合ったそれらの言葉は、
2~3度耳にすれば、なんの努力もなく覚えてしまいます。

なのでここでは、「マレー語(新しい外国語)」を日本語の小説にぶちこんでいます。

普通に読み進めていただけば、
読み終える頃には、自然とマレー語の語彙が増えている事でしょう。

今回扱う学習資料は、夏目漱石の小説「吾輩は猫である」です。

まあ、騙されたと思って、読んでみて下さい。

元となる小説の一文

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番どう悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。ただ彼の掌に載せられてスーと持ち上げられた時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し落ちついて書生の顔を見たのがいわゆる人間というものの見始であろう。この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ。その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も出くわした事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を吹く。どうも咽せぽくて実に弱った。これが人間の飲む煙草というものである事はようやくこの頃知った。

動詞をぶち込む

ますは、下記の表にございます「マレー語の動詞」を、日本語感覚にしていきましょう。

後に続く小説の文では、ここの「動詞」に置き換わっています。
「新しい外来語を取り入れる」くらいの気持ちで、ふふ~んって感じで読んでみて下さい。

動詞発音記号カタカナ読み日本語の意味
lahir/la.hir/ラヒル生まれる
menangis/mə.naŋis/ムナンギス泣く
melihat/mə.li.hat/ムリハッ見る
menangkap/mə.naŋ.kap/ムナンカップ捕まえる
merebus/mə.re.bus/ムレブス煮る
makan/ma.kan/マカン食べる
tidak berasa takut/ti.dak bə.ra.sa ta.kut/ティダッ ブラサ タクッ怖くない
diangkat/di.aŋ.kat/ディアングカット持ち上げられる
tenang/tə.naŋ/テナン落ち着く
berfikir/bər.fi.kir/ブルフィキル考える
berjumpa/bər.jum.pa/ブルジュンパ会う
meniup/mə.ni.up/ムニウップ吹く
susah/su.sah/スサッ困る、苦労する
menghisap/məŋ.hi.sap/ムンヒサップ吸う
tahu/ta.hu/タフ知る

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで lahir かとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー menangis た事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを melihat 。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番どう悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を menangkapmerebusmakan という話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも tidak berasa takut 。ただ彼の掌に載せられてスーと diangkat 時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で少し tenang 書生の顔を melihat のがいわゆる人間というものの見始であろう。この時妙なものだと berfikir った感じが今でも残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ。その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も berjumpa った事がない。のみならず顔の真中があまりに突起している。そうしてその穴の中から時々ぷうぷうと煙を meniup 。どうも咽せぽくて実に susah 。これが人間の menghisap 煙草というものである事はようやくこの頃 tahu

【ワンポイント】
マレー語の動詞自体は、現在形・過去形・未来形で変化しません。
過去の出来事を表す場合でも、動詞の形は変わらず、時間を示す単語や文脈で過去形を示します。

過去の出来事を強調する際には、「sudah」や「telah」を動詞の前に置きます。
どちらも「既に」「~した」という意味です。

「tidak berasa」はマレー語で「感じない」という意味です。具体的には、以下のような意味があります。

  • tidak: 「〜でない」という否定の意味。
  • berasa: 「感じる」または「感覚を持つ」という意味。

副詞もやっちまう

副詞発音記号カタカナ読み日本語の意味
masih/ma’sih/マシーまだ
kadang-kadang/ˈkɐdæŋ kɐˈdæŋ/カダン・カダン時々
sedikit/səˈdikit/スディキット少し
sekarang pun/səˈkɑːraŋ pʊn/スカラン・プン今でも
terlalu/tərˈlalu/テルルあまりに
benar-benar/bənar bənar/ブナール・ブナール実に
akhirnya/akhirnya/アキルニャようやく

 吾輩は猫である。名前は masih 無い。
 どこで lahir かとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー menangis た事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを melihat 。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番どう悪な種族であったそうだ。この書生というのは kadang-kadang 我々を menangkap 、 merebus 、 makan という話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも tidak berasa takut 。ただ彼の掌に載せられてスーと diangkat 時何だかフワフワした感じがあったばかりである。掌の上で sedikit tenang 書生の顔を melihat のがいわゆる人間というものの見始であろう。この時妙なものだと berfikir った感じが sekarang pun 残っている。第一毛をもって装飾されべきはずの顔がつるつるしてまるで薬缶だ。その後猫にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も berjumpa った事がない。のみならず顔の真中が terlalu 突起している。そうしてその穴の中から kadang-kadang ぷうぷうと煙を meniup 。どうも咽せぽくて benar-benar susah 。これが人間の menghisap 煙草というものである事は akhirnya この頃 tahu 。

【ワンポイント】
“Sekarang”意味: 「今」「現在」

“Pun”意味: 「〜も」または「〜さえ」

名詞どーん

名詞発音記号カタカナ読み日本語の意味
kucing/ku.tʃiŋ/クチン
nama/ˈna.ma/ナマ名前
tempat/ˈtɛm.pat/テンパット場所
perkara/pə.ka.ra/ペルカラ事柄、物事
ingatan/iŋ-ɡa-tan/インガタン記憶
manusia/maˈnu.sia/マヌシア人間
pelajar/pə.la.dʒar/プラジャール学生、書生
kaum/ka.um/カウム種族
tapak tangan/ta.pak ˈtaŋan/タパク タンガン
rasa/ˈrasa/ラサ感覚
wajah/wa.dʒah/ワジャ
bulu/bu.lu/ブル
cerek/ˈtʃɛ.rɛk/チェレク薬缶
lubang/lu.baŋ/ルバン
asap/a.sɑp/アサップ
rokok/ro.kok/ロコック煙草
benda/ˈbenda/ベンダ

 吾輩は kucing である。nama は masih 無い。
 どこで lahir かとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした tempat でニャーニャー menangisperkara だけは ingatan している。吾輩はここで始めて manusia というものを melihat。しかもあとで聞くとそれは pelajar という manusia 中で一番どう悪な kaum であったそうだ。この pelajar というのは kadang-kadang 我々を menangkapmerebusmakan という話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも tidak berasa takut 。ただ彼の tapak tangan に載せられてスーと diangkat 時何だかフワフワした rasa があったばかりである。tapak tangan の上で sedikit tenang pelajarwajahmelihat のがいわゆる manusia というものの見始であろう。この時妙なものだと berfikir った rasa が sekarang pun 残っている。第一 bulu をもって装飾されべきはずの wajah がつるつるしてまるで cerek だ。その後 kucing にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も berjumpa った perkara がない。のみならず wajah の真中が terlalu 突起している。そうしてその lubang の中から kadang-kadang ぷうぷうと asapmeniup 。どうも咽せぽくて benar-benar susah。これが manusiamenghisap rokok という benda である事は akhirnya この頃 tahu

【ワンポイント】
「tapak」は「底」や「跡」を指し、「tangan」は「手」を意味します。
したがって、「tapak tangan」は文字通り「手の底」となり、掌を指す言葉です。

形容詞も

マレー語の形容詞は、修飾する名詞の後ろに置かれます。

1:

  • 日本語: 赤い花
  • マレー語: bunga merah(”bunga”が名詞で”merah”が形容詞)

2:

  • 日本語: 美しい大きな家
  • マレー語: rumah besar cantik(”rumah”が名詞、”besar”が形容詞、”cantik”が形容詞)

みたいな感じで、日本語の逆で、
英語ともちょっと違います。
下記の文でもそのようにしているので、慣れていきましょう。

形容詞発音記号カタカナ読み日本語の意味
gelap/gəˈlæp/ゲラップ薄暗い
lembap/ləmˈbɑːp/レンバプじめじめした
jahat/ˈdʒɑːhɑːt/ジャハット悪い

 吾輩は kucing である。nama は masih 無い。
 どこで lahir かとんと見当がつかぬ。何でも tempat gelap lembap でニャーニャー menangis た perkara だけは ingatan している。吾輩はここで始めて manusia というものを melihat。しかもあとで聞くとそれは pelajar という manusia 中で一番 kaum jahat であったそうだ。この pelajar というのは kadang-kadang 我々を menangkap 、merebus、makan という話である。しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも tidak berasa takut 。ただ彼の tapak tangan に載せられてスーと diangkat 時何だかフワフワした rasa があったばかりである。tapak tangan の上で sedikit tenang pelajar の wajah を melihat のがいわゆる manusia というものの見始であろう。この時妙なものだと berfikir った rasa が sekarang pun 残っている。第一 bulu をもって装飾されべきはずの wajah がつるつるしてまるで cerek だ。その後 kucing にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も berjumpa った perkara がない。のみならず wajah の真中が terlalu 突起している。そうしてその lubang の中から kadang-kadang ぷうぷうと asap を meniup 。どうも咽せぽくて benar-benar susah。これが manusia の menghisap rokok という benda である事は akhirnya この頃 tahu 。

接続語どん

接続発音記号カタカナ読み日本語の意味
tetapi/təˈtɑː.bi/テタビしかし
namun/ˈna.mun/ナムンしかも
dan/dan/ダンそして

 吾輩は kucing である。nama は masih 無い。
 どこで lahir かとんと見当がつかぬ。何でも tempat gelap lembap でニャーニャー menangis た perkara だけは ingatan している。吾輩はここで始めて manusia というものを melihat。tetapi あとで聞くとそれは pelajar という manusia 中で一番 kaum jahat であったそうだ。この pelajar というのは kadang-kadang 我々を menangkap 、merebus、makan という話である。Namun その当時は何という考もなかったから別段恐しいとも tidak berasa takut 。ただ彼の tapak tangan に載せられてスーと diangkat 時何だかフワフワした rasa があったばかりである。tapak tangan の上で sedikit tenang pelajar の wajah を melihat のがいわゆる manusia というものの見始であろう。この時妙なものだと berfikir った rasa が sekarang pun 残っている。第一 bulu をもって装飾されべきはずの wajah がつるつるしてまるで cerek だ。その後 kucing にもだいぶ逢ったがこんな片輪には一度も berjumpa った perkara がない。Dan のみならず wajah の真中が terlalu 突起している。そうしてその lubang の中から kadang-kadang ぷうぷうと asap を meniup 。どうも咽せぽくて benar-benar susah。これが manusia の menghisap rokok という benda である事は akhirnya この頃 tahu 。

全文まるまるマレー語

参考までに、全部マレー語に訳してみました。
めんどくさいと思いますので、別に、ここは読まなくてもいいです。

以下の文では、紹介していない単語があったり、文法、語順がマレー語バージョンです。
全部を理解するのは大変だと思いますが、
ここまでで覚えてしまった「日本語みたいな英語」が頭ん中にあるので、
ワリとイメージ出来ちゃうのではないでしょうか?


 Saya adalah kucing. Nama saya masih tidak ada.
 Saya tidak tahu di mana saya lahir. Saya hanya ingat perkara yang saya menangis di tempat gelap lembap. Di sini, saya pertama kali melihat manusia. Tetapi, setelah saya mendengar, saya tahu bahawa mereka adalah pelajar yang merupakan kaum jahat di kalangan manusia. Pelajar ini kadang-kadang menangkap, merebus, dan makan kami. Namun, pada waktu itu, saya tidak mempunyai pemikiran tentang apa-apa, jadi saya tidak berasa takut. Hanya saja, ketika saya diangkat di tapak tangan mereka, saya merasakan sesuatu yang ringan dan melayang. Melihat wajah pelajar yang sedikit tenang di tapak tangan adalah apa yang saya mulai mengenal manusia. Saya masih ingat rasa aneh ketika itu. Wajah yang seharusnya dihiasi dengan bulu menjadi licin seperti cerek. Selepas itu, saya bertemu banyak kucing, tetapi saya tidak pernah berjumpa dengan makhluk yang seaneh ini. Dan, bukan hanya itu, tengah wajahnya terlalu menonjol. Dari lubang itu, kadang-kadang mereka meniup asap. Rasanya sangat menjengkelkan dan benar-benar susah. Ini adalah benda yang manusia hisap rokok, dan akhirnya saya tahu tentangnya baru-baru ini.

最後に

と、こんな感じです。
最後まで読みまくってくれた方は、結構マレーシア人になったのでないでしょうか?

また、これの英語学習バージョンもありますので、
気が向いたら観てみて下さい。

【馬鹿でも暗記・英単熟語ぶちこみ小説】吾輩は猫である編Part1

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