【馬鹿でも暗記・マレー語ぶちこみ小説】人間失格編Part1

mal-shikkaku1-title マレー語学習

知らねー言語を覚えるにあたって、
一番厄介なのが、単語の暗記ですか?

「知らねーよ!こっちに聞くな!」

と言われそうですが、
学生時代、赤点ばかりとっていた私にとっては、
暗記大っ嫌い。べらぼうに苦手なのです。

とにかく、努力がしたくないのですが、
この度、
そんな私でも覚えられる学習法を、ご提案いたします。

外国語の単語を、
「田舎のばあちゃんの何言ってるか分かんねー方言」
と同じ感覚でとらえてみるのです。

基本的に田舎のばあちゃんは、方言がきつすぎて、
何言ってるか分かんねーものです。
しかし、そんなばあちゃんと2~3日一緒に飯を食ってると、
不思議と理解できるようになっています。

これと同じように、
「マレーシアのばあちゃんは、方言きつい」
くらいの感覚で、以下の文章を読み進めてみて下さい。

そこには、日本語の中にマレーシア言葉がぶち込まれており、
普通に読んでくだけで、自然とマレーシア語彙が増えていく筈です。

元となる小説

 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに取りかこまれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、首を三十度ほど左に傾け、醜く笑っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、
「可愛い坊ちゃんですね」
 といい加減なお世辞を言っても、まんざら空(から)お世辞に聞えないくらいの、いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、いやな子供だ」
 とすこぶる不快そうに呟き、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。

動詞をぶち込む

ますは、下記の表にございます「マレー語の動詞」を、日本語感覚にしていきましょう。

後に続く小説の文では、ここの「動詞」に置き換わっています。
「新しい外来語を取り入れる」くらいの気持ちで、ふふ~んって感じで読んでみて下さい。


マレー語の動詞自体は、現在形・過去形・未来形で変化しません。
過去の出来事を表す場合でも、動詞の形は変わらず、時間を示す単語や文脈で過去形を示します。

過去の出来事を強調する際には、「sudah」や「telah」を動詞の前に置きます。
どちらも「既に」「~した」という意味です。

「tidak berasa」はマレー語で「感じない」という意味です。具体的には、以下のような意味があります。

  • tidak: 「〜でない」という否定の意味。
  • berasa: 「感じる」または「感覚を持つ」という意味。
動詞発音記号カタカナ読み日本語の意味
lihat/lihat/リハッ見る
kelilingi/kəˈliliŋi/クリリンギ取り囲む
condong/ˈtʃondɔŋ/チョンドン傾ける
senyum/səˈɲum/セニュム笑う
kata/ˈkata/カタ言う
gumam/ɡumam/グマム呟く
lempar/ˈlɛmpar/レンパル投げる

 私は、その男の写真を三葉、 lihat ったことがある。
 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに kelilingi まれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、首を三十度ほど左に condong 、醜く senyum っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも無いような顔をして、
「可愛い坊ちゃんですね」
 といい加減なお世辞を kata っても、まんざら空(から)お世辞に聞えないくらいの、いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ lihat ってすぐ、
「なんて、いやな子供だ」
 とすこぶる不快そうに gumam 、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり lempar かも知れない。

副詞と否定詞をやー

副詞のみだとちょっと寂しいので、否定詞も加えてみました。
tidak」はマレー語では否定詞であり、副詞ではありません。主に動詞や形容詞を否定するために使われます。
「~ではない」「無い」という意味。

副詞+否定詞発音記号カタカナ読み日本語の意味
tidak/ˈtidak/ティダッ~ではない、無い
segera/səˈɡəra/スグラすぐ、すぐに
sungguh/ˈsuŋɡʊh/スングゥすこぶる、本当に

 私は、その男の写真を三葉、 lihat ったことがある。
 一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の女のひとに kelilingi まれ、(それは、その子供の姉たち、妹たち、それから、従姉妹たちかと想像される)庭園の池のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、首を三十度ほど左に condong 、醜く senyum っている写真である。醜く? けれども、鈍い人たち(つまり、美醜などに関心を持たぬ人たち)は、面白くも何とも tidak いような顔をして、
「可愛い坊ちゃんですね」
 といい加減なお世辞を kata っても、まんざら空(から)お世辞に聞えないくらいの、いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ lihat って segera
「なんて、いやな子供だ」
 と sungguh 不快そうに gumam 、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり lempar かも知れない。

名詞どーん

名詞発音記号カタカナ読み日本語の意味
lelaki/ləˈlaki/レラキ男性
gambar/ˈɡambər/ガンバル写真
anak/ˈanak/アナッ子供
wanita/waˈnita/ワニタ女性
kakak-kakak/ˈkakak-ˈkakak/カカッ-カカッ姉たち
adik-adik/ˈadik-ˈadik/アディッ-アディッ妹たち
sepupu-sepupu/səˈpupu-səˈpupu/スププ-スププ従姉妹たち
taman/taˈman/タマン庭園
kolam/ˈkolam/コラム
orang/ˈorang/オラン
orang-orang/ˈorang-ˈorang/オラン-オラン人々
muka/ˈmuka/ムカ
budak/ˈbudak/ブダッ坊ちゃん、子供
senyum/səˈɲum/セニュム笑顔
ulat bulu/ˈulat ˈbulu/ウラッ ブル毛虫

 私は、その lelakigambar を三葉、 lihat ったことがある。
 一葉は、その lelaki の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の gambar であって、その anak が大勢の wanitakelilingi まれ、(それは、その anakkakak-kakakadik-adik 、それから、 sepupu-sepupu かと想像される) tamankolam のほとりに、荒い縞の袴をはいて立ち、首を三十度ほど左に condong 、醜く senyum っている gambar である。醜く? けれども、鈍い orang-orang (つまり、美醜などに関心を持たぬ orang-orang )は、面白くも何とも tidak いような muka をして、
「可愛い budak ですね」
 といい加減なお世辞を kata っても、まんざら空(から)お世辞に聞えないくらいの、いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその anaksenyum に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来た orang なら、ひとめ lihat って segera
「なんて、いやな anak だ」
 と sungguh 不快そうに gumamulat bulu でも払いのける時のような手つきで、その gambar をほうり lempar かも知れない。

【ワンポイント】
senyum」は「動詞」でも登場した単語ですが、
「笑顔」や「微笑み」を意味する名詞でも使われます。
文脈によって、どっちの品詞にもなります。

形容詞も

マレー語の形容詞は、修飾する名詞の後ろに置かれます。

1:

  • 日本語: 赤い花
  • マレー語: bunga merah(”bunga”が名詞で”merah”が形容詞)

2:

  • 日本語: 美しい大きな家
  • マレー語: rumah besar cantik(”rumah”が名詞、”besar”が形容詞、”cantik”が形容詞)

みたいな感じで、日本語の逆で、
英語ともちょっと違います。
下記の文でもそのようにしているので、慣れていきましょう。

形容詞発音記号カタカナ読み日本語の意味
kasar/kaˈsar/カサール粗い
jalur/ˈdʒalur/ジャルール縞の

 私は、その lelaki の gambar を三葉、 lihat ったことがある。
 一葉は、その lelaki の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の gambar であって、その anak が大勢の wanita に kelilingi まれ、(それは、その anak の kakak-kakak 、 adik-adik 、それから、 sepupu-sepupu かと想像される) taman の kolam のほとりに、袴 jalur kasar をはいて立ち、首を三十度ほど左に condong 、醜く senyum っている gambar である。醜く? けれども、鈍い orang-orang (つまり、美醜などに関心を持たぬ orang-orang )は、面白くも何とも tidak いような muka をして、
「可愛い budak ですね」
 といい加減なお世辞を kata っても、まんざら空(から)お世辞に聞えないくらいの、いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその anak の senyum に無いわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来た orang なら、ひとめ lihat って segera 、
「なんて、いやな anak だ」
 と sungguh 不快そうに gumam 、 ulat bulu でも払いのける時のような手つきで、その gambar をほうり lempar かも知れない。

接続語どん

接続語発音記号カタカナ読み日本語の意味
dan/dæn/ダンと、そして
tetapi/təˈbɑːti/テバティしかし

 私は、その lelaki の gambar を三葉、 lihat ったことがある。
 一葉は、その lelaki の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の gambar であって、その anak が大勢の wanita に kelilingi まれ、(それは、その anak の kakak-kakak 、 adik-adik 、 dan 、 sepupu-sepupu かと想像される) taman の kolam のほとりに、袴 jalur kasar をはいて立ち、首を三十度ほど左に condong 、醜く senyum っている gambar である。醜く? けれども、鈍い orang-orang (つまり、美醜などに関心を持たぬ orang-orang )は、面白くも何とも tidak いような muka をして、
「可愛い budak ですね」
 といい加減なお世辞を kata っても、まんざら空(から)お世辞に聞えないくらいの、いわば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその anak の senyum に無いわけではないのだが、 tetapi いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来た orang なら、ひとめ lihat って segera 、
「なんて、いやな anak だ」
 と sungguh 不快そうに gumam 、 ulat bulu でも払いのける時のような手つきで、その gambar をほうり lempar かも知れない。

全文まるまるマレー語

参考までに、全部マレー語に訳してみました。
めんどくさいと思いますので、別に、ここは読まなくてもいいです。

以下の文では、紹介していない単語があったり、文法、語順がマレー語バージョンです。
全部を理解するのは大変だと思いますが、
ここまでで覚えてしまった「日本語みたいな英語」が頭ん中にあるので、
ワリとイメージ出来ちゃうのではないでしょうか?


Saya pernah lihat gambar lelaki itu di tiga daun. Satu daun adalah gambar lelaki itu dari zaman kanak-kanaknya, mungkin sekitar usia sepuluh tahun, di mana anak itu dikelilingi oleh ramai wanita (mungkin kakak-kakak, adik-adik, dan sepupu-sepupu anak itu) di tepi kolam taman, berdiri dengan memakai hakama jalur kasar, condong kepala kira-kira tiga puluh darjah ke kiri, sambil senyum hodoh. Hodoh? Namun, orang-orang yang tumpul (iaitu, orang-orang yang tidak peduli tentang keindahan atau keburukan) mempunyai wajah yang tidak menarik. “Budak yang comel, ya?” kata mereka dengan pujian yang biasa-biasa saja, tetapi tidak dapat dikatakan bahawa senyuman anak itu tidak mempunyai sedikit pun bayangan “kecantikan” yang biasa. Namun, jika seseorang yang telah menjalani latihan mengenai keindahan dan keburukan melihatnya, mereka mungkin akan segera berkata, “Betapa tidak menyenangkannya anak itu,” sambil menggumam dengan sangat tidak selesa, seperti ketika mengusir ulat bulu, dan mungkin akan melempar gambar itu.

最後に

いかがでしたでしょうか?

他の小説でも、ぶちこんでおりますので、
試しに観てって下さい。

【次回のやつ】
マレー語ぶちこみ小説・人間失格編Part2

【他の小説】
マレー語ぶちこみ小説・吾輩は猫である編Part1


これの英語学習バージョンもありますので、
気が向いたら観てみて下さい。

【英語バージョン】
英単熟語ぶちこみ小説・人間失格編Part1

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